西荻夫婦
- Date:
- 2008-01-10
- Category:
- 04_BOOK
古本の漫画を買って読む。表題がそれ。絵柄から少女マンガ家かと思ったが、経歴を調べると必ずしもそう分類しきれない様子。
この漫画、子供のいない30代前半の夫婦の生活を描く。当たり障りのない展開が続き、ときおり気障な描写が出てくるので共感しにくい人間も多いとは思う。一巻で完結、数話によって成り立っている。各話の最後には必ずと言っていいほど、生活に潜む悲哀が見え隠れする描写があって、そこだけはどうしてもシンパシーを感じてしまう。
後半、興味深い文章が登場する。
わたしたちには子供がいない。
作らなかったのだ。作らないことはそう難しくない。
子供よりも、わたしたちは自分を選んだ。他人よりも自分を。
(中略)
でもわたしがうしろめたいのは、生まれない子供にではないのだ。
わたしたちの両親にたいしてうしろめたく思っている。
私たちのために確実に、自分の時間を費やしてくれたその人たちに
もらった時間を、わたしたちときたら、まるきり自分のためだけに使っているのだから。
登場人物の、この心境に共感を覚えた。僕自身、親元離れ世田谷で一人暮らし、貯金もせず、好きなときに酒を呑み、遊び、労働訓練もそこそこに、自身の将来を省みないでいる。そういう生活をしていることに対して後ろめたさを感じるのは、やはり自分の両親に対してであって。最近結婚した友人のことなどを考えると、所帯を持つこと、子供を作ること、これまでに自分が学び覚えたことを継承させていくことを、義務・重責のように感じ出してしまう。
こういうプレッシャーは誰でも大いにあるだろうが、一歩引いてみればただの贅沢なのである。漱石の真似をして言えば、精神的に贅沢なのである。年収がたとい300万未満だろうが、この国で普通に働き生活することが出来ていればそれ以上の幸福はない。飯は3食いつでも食えるし、家がなくとも屋根のある部屋で寝られる。それなのに鬱になったり中央線に飛び込んだり、この国の人たちはみんな心が脆すぎる。
この漫画に終始まとわりつく倦怠感のようなものの正体は、その精神的な贅沢さだと感じる。漫画に登場する夫婦に同調するのはいいけれど、それで満足してしまっては拙い。
この漫画、2001年発刊とのこと。僕が高校3年の頃、自分が生活に対しての不満や恐怖などはまったく持っていなかった頃にこういうことを考えていた人間がいたのかと思うと、それから7年経った今になっても、自分がその内容に共感したり、周りに似たような人間が未だぞろりと存在しているという状況のほうが恐いものだと感じてしまう。
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