「女学生」の「無意識」
- Date:
- 2007-12-15
- Category:
- 04_BOOK
- ケータイ小説をなめてはいけない──日本近代文学と「女学生」 - ビジネススタイル - nikkei BPnet
- http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/inose/071211_20th/
TumblrのDashboradをいつものように徘徊していて見つけた記事だが、面白かったので見入ってしまい、プリントアウトまでしてじっくり読んだ。近年何かと話題のケータイ小説だが、賛否両論分かれるその文学の新ジャンルを、明治時代の女学生を引き合いに出して論じている。
文中にある内藤千代子のエピソードは色褪せたものには感じない。現代にも通じていると思える。近代文学を読んでいて思うことは多々あるが、そのなかでも特に感じられることは、100年前の人間の感受性は現代の僕らとそう違いがないということ。だから僕も近代文学を読んで、自身の労働や生活のあり方について参考にしたいと思ったりするのだけれど、女性の振る舞いにも同じことが言えるとは想像に及ばなかった。
女生徒が男性を翻弄するその精神的なものを、「無意識」という言い方をしている。引き合いに出されているのは夏目漱石の三四郎だ。引用されているくだりは、三四郎と美禰子の会話、あの「ストレイシープ」のシーン。
三四郎は美禰子の言葉よりも、なぜ美禰子が「ストレイシープ」という言葉を使ったか理解できない。あたり前だ。彼女は「無意識」と「意識」が非連続の状態が心地よい。それを「意識」でとらえようとしてもわかるわけがない。明子と同じである。
この"「無意識」と「意識」が非連続の状態が心地よい"彼女と、"それを「意識」でとらえようと"する男の、関係性が滑稽だ。それでいて実にリアリティがある、生活のなかにこういう意識の違いは点在している気がする。この無意識は、「スイーツ(笑)」といったような表現とは結びつかなそうだ、笑っていられないようなプレッシャーが込められている。無意識については、文章の締めくくりでも言及されている。
ケータイ小説を読んでいるのは若い女性が中心だ。彼女たちの言葉は、大人になる直前の、少女と大人の境目でだけ発揮できる"無意識"から生まれるものだ。文章でも、しゃべる言葉でも、いろいろな未来を呼び込んでいる。これは、この時期をすぎた途端に色褪せる。日常生活のなかで、"無意識"が消えていくのだ。ものごとをふつうに意識する、ふつうの大人になっていく。
「無意識」が女学生特有のステータスであるのならば、それは興味深いものと同時に実にレアな感情である。しかしこれがレアだと感じられないのは、僕がやはりまだ若輩で、周りにそういう感情を持つ人たちが多かったからだろう。実際に翻弄される機会はそう多くなかったが、そういう機会に遭遇されるたびに薬缶頭をこねくり回して、理屈でとらえようとしてその都度誰かに怒られてきたように思う。それは第三者の場合もあったし、対峙する当時者であったこともある。ひどい経験である。田山花袋という作家を、僕はこの文章を読んで初めて知ったが、親近感を感じてしまう。「蒲団」はぜひ読みたい。
さて、女学生といえば、太宰治だろう。文中にもやはり取り上げられている。
『女生徒』は、19歳の有明淑子の日記を入手したことから生まれた。日記は、彼女が昭和13年5月~8月までつけていたものだ。太宰はそれを1日の出来事に構成し直した。日記をそのまま写した部分もあるが、構成をよく工夫し、太宰独自の味付けを加えた。太宰は、「女学生」の「無意識」が欲しかったのだ。
太田静子の日記は『斜陽』の素材になった。山崎富栄は『グッド・バイ』に登場する女のモチーフとなった。
太宰の作品に登場する女性は、常々いけ好かないものだと思っていたが、そのルーツが繋がっていたとは。しかもそれが漱石の三四郎での美禰子にも見受けられるような、「女学生」の「無意識」によるものだという、これも実に面白い内容。
太宰治の「女生徒」は、2000年に作品社という出版社から新装版が出されている。僕はそれを半年以上も前に購入していた。その新装版の帯に寄稿をしているのが、エレファントカシマシ宮本浩次だ。この作品は、僕の興味である写真、文学、音楽をはじめとして、生活から恋愛感情までもひとところに繋げてしまった。まったく末恐ろしいものである、なんだかんだ難しいように考え口ッ喋っていても、結局のところひとつの世界で右往左往しているだけなのだということに気がつかされる。大間抜けである。
なんにしても、「無意識」は現代に生きる僕らの周りに今も存在していて、それがひとつの形として浮かび上がってきたのがケータイ小説だとしたら、他の表現にも応用が可能で、太宰のようにそれをうまく見つけて形にすることができれば、またひとつ作品が出来上がる。こういう場合、僕が考えなければいけないのは写真への応用であって、それはとても面白いネタであるということだ。
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