悪の対話術 - 福田和也
- Date:
- 2007-09-25
- Category:
- 04_BOOK
ロングセラーの評判な新書を買って読破。表題がそれ。
思えば僕はこれまで好き勝手生きてきた。自分の社会適用力がどれくらい必要かなんて考えずにきた。聴く音楽はエモ系、着る服はダルダル、休みは一人で酒と写真とwebばかり、たまの休みにロックフェスに出向いては狂喜しているようないかにも貧乏くさい生活を続けてきたけれども、「香山哲のファウスト」を見て以来自分の未来の果てを想像して絶望を覚えたので、これまでの生活を改めようとしなければ気がおさまらなくなってしまった。同作品中でも表現されているが、人を見下し、自己満足すらできず、批判を恐れ、焦燥感に追われ、しかし努力はしない、そんな生活を改めなければならない。どう足掻いても世界はひっくり返らないのだ。
そんなこんなで今必死に自分の社会適用能力を向上させようと試みている。下世話と言いたければ言えばいい。そんななかで知ったのがこの本。悪というのは勧善懲悪の悪ではなく、人間大人の精神中ではほぼありえない純粋無垢を気取るスタイルに対しての言葉を指しているそうで、感情の赴くままに振舞う行動を否定し、他人とのやり取りにおいて常に意識的であれとしている。12の章立てから成っており、参考になる箇所、ならない箇所と半々程度。そのなかで気を引かれたキーワードは「油断」と「緊張」と「好奇心」。以下引用。
礼儀を尊重しない人、礼儀の意義に無自覚な人というのは、無意識のうちに、他人や世間にたいして、馴れ合い、油断してしまっているのです。それだけでなく、自分が、自らの意志で、しっかりと他者と社会をみつめ、緊張感と強い意志のもとで生きていくという覚悟を失っている。
好奇心は、人間にたいする絶望的な真実にも、耐えることが出来ます。それは美しくはないかもしれませんが、人間という卑小で俗にまみれた存在を、最終的に肯定する力をもっているのです。
この本は他人との対話をメインの題材として扱っているが、上に挙げたような姿勢は対話だけに通じるものでないように感じる。こと僕はこれまで生活において「油断」をし過ぎていたようだ。思い返せば、さまざまな場に出向いて色々な人と出会ってきたが、そのような経験が今実になっていないのも、油断していてチャンスをチャンスと気付いていなかったせいだと思える。また、人との離別が喧嘩別ればかりだというのも、嫌いな奴は最後まで嫌い、という他者への関心の薄さ、了見の狭さが影響していたのかもしれない。
この本を、最初に挙げた、ろくでもない生活から抜け出すためのヒントにできるか。それだけが僕の課題である。
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