私の個人主義

Date:
2007-05-26
Category:
04_BOOK

夏目漱石「漱石文明論集」をamazonで衝動買い。目的は収録されている評論のひとつ「私の個人主義」。これがどうしても読みたかった。というのも、いつも読んでいるブログにその引用があって、それがとても気になっていたからだった。以下がそのブログとエントリー。

『かきがら』落とし - デイトレーダー型社員
http://d.hatena.ne.jp/t_zard77/20070416/1176687212

ここで引用されている原文の中に、3タイプの人間が存在する。

  1. すでに自力で切り開いた道を持っている方
  2. 他(ひと)の後に従って、それで満足して、在来の古い道を進んで行く人
  3. どこか突き抜けたくっても突き抜ける訳にも行かず、何か掴(つか)みたくっても薬缶頭(やかんあたま)を掴むようにつるつるして焦燥(じ)れったくなったりする人

この3タイプ、僕は漱石の文章を読む以前に、別所で同様のことを述べているのを見かけていた。それはちょくちょくこのブログでも述べているが、個人漫画サイトの「ドグマ出版」内に掲載されている「香山哲のファウスト」だ。

ドグマ出版
http://www.dogmabooks.com/

この漫画の中で、主人公である中道シーゲルは、自らの空虚な人生をメフィストフェレスに指摘される。そのメフィストフェレスが人間のタイプを3つ挙げている。以下引用。

ある者は大衆の愚かさに目をつむり大衆の世界で暮らし・・・またある者は特別な技術を習得して社会とのつながりが比較的少ない生活を営み・・・どちらも難しい者は、苦しみに満ちた日々を数少ない理解者と共に歩んでいくことになるのだ。

この漫画の著者が漱石を読んでいたかどうかはわからないが、100年後の現代でも同様の悩みを持った人間は多数存在していて、「突き抜けたくっても突き抜ける訳にも」いかないで空虚な毎日を送っているということ。

漫画の中で主人公は絶望し、メフィストフェレスに先導されて世界をベータ化(リセット?)する。が、現実に生きる僕らはそうはいかない。明日また生きなきゃいけない。開き直って漱石の挙げた2のタイプの人間に成り得るかといったら、そんな切り替えが出来るほど器用であれば最初から空虚さなど持ちはしないからそれも無理。だとしたらやっぱり、「どんな犠牲(ぎせい)を払(はら)っても、ああここだという掘当(ほりあ)てるところまで」行かなきゃならんということだ。「香山哲のファウスト」を読んで、ものすごくイージーな感化のされ方をして、かなり絶望感を持っていた僕としては唯一の道が開けた気がするけれど、それってやっぱり険しい道のりだよなぁ。

鋭い絶望感から鈍い倦怠感に意識をシフトチェンジさせたところで今回はおしまい。

Comment

Name
Mail
URL
Text

漱石はメフィストフェレスに先導されてはいけない、とは言ってないのが気楽なところです。ものの善悪を考え出すと、話が数倍ややこしくなると思っています。

コメントありがとうございます。
僕は「ファウスト」の原作を読んだことがないので、それと「個人主義」での漱石の言葉とがどう関連するのかが理解できていません。
原作の和訳を一度読んでみたいと思います。

Trackback

http://tplh.net/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/391