シンポジウム 東京/日本らしさの<<核心>>を照射する
- Date:
- 2006-11-27
- Category:
- 08_LIFE
昨日昼より日大文理のホールで友人がゼミ長を勤める社会学部の展示会に赴く。
当日はシンポジウムも開催されており、それが一番の目当てだった。
日本、東京において常にビジネスの先進を行く丸ノ内地区。
東京駅と皇居にはさまれた独自の環境にあるそのエリアについて調査し、
地区の独自性を明るみにしていこうというテーマのもとにシンポジウムは進行した。
皇居と丸ノ内地区の関係性について、近代の歴史から紐解こうとする解説がユニークだった。
皇居が東京に移ったのは明治時代になってからのこと。当時の日本は軍国主義の真っ只中。軍事優先の国の財政から皇居の建設予算は縮小され、当初は仮のものとして赤坂に建てられた。その後洋式の荘厳な建築物を目指したこともあったようだが、その際も同様に軍事優先で却下となった。また当時の天皇自らが贅沢さを嫌ったこともあって、シンボルになりうるような建造物が建てられることはなかったという。
現在の皇居は松林に覆われ、外部からは見ることが出来ないという。また、皇居外苑は公共の場として開放されているにも関わらず、休日の昼になっても人が集まることはなく、またその場を象徴するようなオブジェクトもない。その皇居を取り巻く「何もない」というある意味での独自性は、財政から後回しにされた経緯から生まれたものではないか、という見解で歴史的見地からの解説は終える。
また、土地の性質から見たビジネスセンターとしての特徴も解説していた。
丸ビル1階フロアの公共の場として開放された十字路や、駅前デッキが必要ないグラウンド、整えられた地下街など、建物個々によるものではなく、地域、エリアとして総合的に都市の発展を計画できることが丸の内のオリジナリティであると述べていたが、その点は興味深い。
関連して、1890年、三菱社が高い金を払って三菱ヶ原をゼロから開拓したその当時の都市計画のビジョンに、現在の丸の内の発展と方向性についても全て包括されてしまっているのかもしれない、とも思う。
まぁえらそうに言っては見ても、僕はまだまともに丸の内を歩いたことがない。
一度行ってみないといけない。
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