写世術 / photo projects vol.1 萱原里砂
- 投稿日 :
- 2008.3.20
- カテゴリ :
- 01_PHOTOGRAPH
写真展を観に行く。世田谷美術館にて開催中の、「写世術 / photo projects」の第一回目。
世田谷区在住の若手写真家を紹介するコンセプトのこの催し、第一回目の展示者は多摩美術大学の非常勤講師とのこと。風景写真による作品。僕がこの展示に興味を惹かれたのは、そのモチーフに多摩川が扱われているため。
僕個人も「stabilizer」のなかで多摩川をよく被写体に選ぶ。都内に暮らすようになって2年余り、その間、多摩川での撮影を多く行ってきた。なぜこの川に惹かれるのか。二子玉川近辺の高所得者の放つソトコト系のオーガニックな雰囲気にコンプレックスを感じるためか、それとも東京と神奈川の境に位置するこの川にそこに住む人間の階級差を見てその混沌さに惹かれるのか。爽涼さよりも、生活の険呑さをこの川には感じるのだけれど、その空気が単純に好みなのかもしれない。そんな多摩川をモチーフに撮る写真家が展示を行っていると聞けば、観に行かないわけにはいかない。
実際の展示は、多摩川を撮影した「watershed」以外にも3シリーズ、計35点によって構成されていた。展示のレジュメに作者によるキャプションが添えられており、その内容に深く同調したので、以下に引用する。
「風景」を意味する「Landscape」という単語は「land」「scape」と分節して読むことができる。一説には「land」を「大地」、「scape」を「逃げる」とすることで、語源を解釈できるという。私には、「Landscape」における「scape」こそが「風景」という言葉の本質を表していると思うのだ。
私達は世界の一部をあるひとつの空間に限定し捉えることを「風景」としている。しかし実際に私達が生きる現実とは常に流動的で止まることがない。「風景」とは捕まえようにも「逃げ」去り続ける性質のものとは言えないだろうか。
写真が抱える限界性を、「Landscape」という単語の解釈から詰めている点が新しいと感じた。
多摩川をモチーフに据える地理的、社会的なコンセプトが見受けられなかったのが残念だったけれど、「自然の山と人工の山(採掘場)を、ほとんど同じようにフレームに収めた」という作品「scenic」や、吹雪のなかの山中の景色を写した「LIMIT」は、先に引用した写真の限界性を利用し構成されているように思え、非常に参考になるものだった。
世田谷美術館は、東急田園都市線用賀駅から徒歩10分という、少し離れた場所にある。足を運ぶのに少し億劫ではあるけれど、展示自体はよいものだったし、砧という街も閑静で散歩するにも適したところなので、休日の平穏な時間を過ごすのにオススメしたい。
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