桜の花舞い上がる
- 投稿日 :
- 2008.1.07
- カテゴリ :
- 05_MUSIC
昨日のエレカシライブの中継動画がアップされていた。この曲、曲名もまだ公にされていないようで。今月末に発売される新しいアルバムには収録されないようだが、僕は昨年9月のライブで耳にしていて、以来気になっていた。何が気になるかって、宮本が「桜」を肯定的なフレーズとして利用していることであって。
エレカシがデビューして3枚目に出したアルバムに「浮世の夢」がある。このアルバム、宮本が23歳の頃につくられたものであって、それは丁度今の僕の年齢であるから、思い入れは尚更強い。このアルバムの3曲目に「上野の山」という曲があって、これも曲中で「桜」を用いている。
天気は上々散歩にと上野の山を訪のうた
上野の桜は八分咲そこらでみんな大さわぎ
花見なんぞのどこがいい
笑い顔さえひきつった
ああ短か夜の夢のよう明日になれば忘れ行く
ああ今日の日は何なのか
ああ今日の日は何だろう
ひどく否定的なフレーズである。それが19年後の今、宮本が描く言葉はだいぶ趣きが変わっている。この「浮世の夢」を省みるような表現も見られるのが実に興味深い。
桜が街彩る季節になるといつも
わざと背を向けて生きていたあの頃
やってられないそんな そんな気分だった 遠くのあの光る星に願いを
たとえりゃ人生は花さ 思い出は散りゆき
俺が再び咲かせよう
明日輝くために
息も切らさず走り抜けた
アルバムの1曲目、「序曲 夢のちまた」も同様の捉え方が出来る。
春の一日が通り過ぎていく
ああ 今日も夢か幻か
ああ 夢のちまた
春の日を憂う表現は現在になって、確信めいたフレーズで宮本自ら否定した。
夢やマボロシじゃねえ
燻る胸の想い
笑い飛ばす桜花
憂いを持つ自身すら、彩る桜の花に打ち消されて、日々の生活を励まされる。これは夏目漱石の晩年に抱いたとされる思想、「則天去私」に近いものがあるのだろうか(大袈裟だろうか?)。近代文学に傾倒する宮本の表現だからこそ、そういう繋がりを聴き手の僕らが意識してみるのも面白いだろう。
ユニバーサルに移籍した後のエレカシはその活動が実に精力的で、いずれの作品も前向きなのが印象的である。この新曲では「浮世の夢」との比較をしたが、元旦に発売された「笑顔の未来へ」も同様、過去の楽曲「悲しみの果て」や「風に吹かれて」との比較が出来る。
エレカシは結成から実に20年を経過している。エピック、ポニーキャニオン、東芝EMI、ユニバーサルと、レコード会社を転々とするうちに趣きもだいぶ変化した。それに対応せず一部の時期の活動、表現のみに傾倒する人間とも、僕は多く出会ってきた。僕自身、サンボマスターやくるりなどに対しては完全なフォロワーにはなれないという実感を持っているからそんな彼らの言い分を決して否定できないが、ことエレカシに関してはこの変化を楽しむしかない、宮本が何をしようとひたすら追っかけるしかないという強い興味がある。
その変化が顕著に現れている現在、彼らの活動がこれまでよりも更に楽しみに感じられる。2008年は、非常に良い年になりそうである。
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