漫画少年ドグマ
- 投稿日 :
- 2007.5.27
- カテゴリ :
- 04_BOOK
26日(土)の夕方、駆け込むようにデザインフェスタvol25に赴いた。目的は二つ、友人が写真を展示していると聞いたのでそれを観に行くこと、もうひとつは僕が常日頃webで漫画を購読している「ドグマ出版」が出展しているので漫画を買いに行くこと。
ドグマ出版のブースには香山哲氏、ヒメジョンの田中六大氏も居て、僕は著者の近影は漫画にデフォルメされたものしか見たことがなかったため、かるーく感動してしまった。買った漫画は自費出版の雑誌「漫画少年ドグマ」vol1、2、webにも掲載されていた「ウィズダム地獄」の計3冊。漫画少年ドグマvol2の中表紙には、香山哲氏のサインも頂いた。
漫画少年ドグマvol1の巻頭には、「[特集]漫画雑誌を作らねばならぬ!」というコラム(?)が11ページわたって掲載されており、これが興味深かった。これはこの雑誌の発行人である香山氏によるもの。自費出版を「食う寝るより若干難しい程度」「単なる消費活動」と称し、そのハードルの低さを指摘、そしてその結果にある、多くの自費出版誌の程度の低さ、「理念」の無さを憂いている。だがそれよりも、自費出版誌の在り方についてメジャー誌を引き合いに出しているのが面白い。以下引用。
メジャー雑誌は常に何百万部と売れ、漫画を読む人間を増やし続け、バリエーション豊かな需要に応え、可能な限り多様な供給を行い続けている。自費出版の漫画雑誌が特異な作風やマニアックな需要を開拓できるのも、メジャーが「ほぼ全て」を網羅し、それにより漫画消費者にある程度の漫画教養を与え、わずかな間隙のみを残してくれているからと考える事もできる。
更に続く。
とにかく漫画雑誌として発行した本に載せる漫画について、「面白い/面白くない」だとか「いけてる/いけてない」だとかを論じるならば、それはすなわち「ある一定数の人々からそれなりの評価を受け、こういう市場の中なら通用する、もしくはそうではない」だとかを意味しているはずだ。「友達数人に押し売りできるかどうか」や「近所の人にあげたら喜んでもらえそうかどうか」などは問題にすべきではない。なぜならあなたは雑誌を、あなたの知らない人が来るお店に置いたりしている上に、お金まで取っているのだからだ。 (中略) 自費出版雑誌は!コストや規模が小さいだけで!活動構造がまったくもってメジャー雑誌と同じふうになるはずなのである!すなわちそれは誌面を通してのみ交わされるやり取りで読者を楽しい気分にさせ、そのハッピーに見合っただけのお金をいただく。この事はまったくもってメジャーもマイナーも関係ない、まさに不変のルールであるはずだ。
僕が感銘を受けるのはこの主張に対してではない。こういう理念を、ノンプロの漫画家である香山氏が、自費出版というかたちで実践、挑戦しているということだ。これでは誰もその理念に対して軽薄に批判することが出来ない。漫画自体が面白いかどうかについては、「自費出版だから」というようなフィルタを外して、マジになって評価をしなければならない。
毎度のことだが、僕は個人の制作物について考えるとき、それを自分の活動である写真に置き換える。僕は写真を作品としてまとめるときに、コンセプトのようなものを考えて取り付けるが、それに対しての評価を不特定多数にしてもらった経験がない。だから僕が写真というメディアにおいて考えていることが他人にとっても興味深いのか否か、その評価をしてもらって、自身の作品や思想のリファインをしていく必要があるんじゃないか?!と、今回のこの漫画少年ドグマの特集記事を読んで思った次第。
じゃあどうすりゃいいんだい。上に挙げた漫画のように、また過去多くの写真家が実践したように、写真誌(写真集とはまた違う)を出すのもいい。ただそれをやったとして果たして出来上がりがまっとうなモノに仕上がるかどうか、今の僕には知識と経験とお金が足りない。あるのは時間と意欲だけだ。今持っている作品をもっと精巧に練り直して展示をし、そこで評価を受けるのが先か。
デザインフェスタという環境はそういう点で優れていると思う。レベルの差はあるだろうが、誰もが善意でそこにある展示物や売り物を観に来てくれる。しかもその絶対数が多い。ギャラリーなどでの展示ではそうはいかない、ああいう場所に集まってくれるのは、家族か友人、知人、或いは僕のような物好きだけだ。
というわけで半年かけてしばらく行動してみようと思う。これが漱石先生の言っていた「個人主義」なんだなと実感している。
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