写真の客観性について

投稿日 :
2007.4.10
カテゴリ :
01_PHOTOGRAPH

今とある理由でポストカードにする写真を撮らなきゃならない状況にいる。自分以外の他人に共感を持たれるように写真を撮るということはひじょうに難しいので苦戦を強いられている。そんななか、先週末に写真美術館にいって鑑賞したAPA AWARDの展示作品のなかで気になったものがあったので、書き残しておくことにする。

その作品は姉弟の写真だった。幼い姉がまだ乳児の弟の世話をしている写真が数枚で構成された組写真だ。一見すると彼らの親が撮影したプライベート色の強い写真に思える。プライベートな写真というのは他人からして面白みがまったく存在しないものになりやすい。閲覧者が被写体と現実になんら関わりのない境遇にいるのであれば、写っているものに対しての感情を持ち得ない。そうすると、被写体に近しい人間のみが持ち得ている感情に依存して存在している写真に対しては、そういう環境と関わりのない他人が感じるものなどあるわけがない、という理屈に因る。しかし僕は展示されている姉弟の写真の前で立ち止まってしまった。無論僕はこの姉弟を知らない。それなのに、いったいなぜか。

写っている姉弟はカメラを向いていない。被写体同士で向き合っている。姉が弟の世話をしている。閲覧者であり彼らにとって他人である僕らは、前述したとおり彼らに対しての感情は持ちあわせていないが、姉が弟の世話を見るという行為に存在する姉の感情に共感することは出来る。この組写真はこの姉の行為を撮影することで、他人が共感し得る「自分の家族への感情」の描写を写しこんだ。

撮影者のこのスタイルは見習うべきだと感じた。この姉弟の写真において、撮影者が親なのか、たまたまめぐり合わせた他人なのかは推測が出来ない。それほどの客観性を確保している。他人に魅せる写真を撮るにはこの客観性が大事なんだと実感した。写真は表面、レンズに写る光景しか写し取ることが出来ず、僕らが現実に体感する視覚外の環境というものを排除してしまうので、撮影者がひたすら自分の感情を写真に込めたつもりで撮影してもそれは決して写真上には残らないから、客観性をもってして感情を表現するのだ。

今僕は、ポートレートを再開しようと目論んでいるが、このスタイルをものにできれば、写真の段階をひとつ上に押し上げることができるかもしれない。

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