周縁からのフィールドワーク 1

投稿日 :
2006.11.17
カテゴリ :
01_PHOTOGRAPH

東京国立近代美術館の展示、「臨界からの6つの試論」から、僕が最も興味をひかれた、小野規氏の連作、「周縁からのフィールドワーク」を吟味する。

シリーズ「塔を眺める」では、パリの郊外から都市の中心の象徴であるエッフェル塔を滲むほどの遠景で捉えた風景写真を連ねている。
パリという都市の変化を象徴しているようだが、それを理解するだけの土台の知識が僕にはないので、その具体的なメッセージ性を捉えることが出来ないのが残念。
ただ、ここで作者の述べている「視点」の意味合いが印象に残る。

解説文では作者自身が、撮影者の視点について下記のように定義している。

「周縁」としてのパリ郊外は「中心」であるパリによって作られ、見られ、表象されてきました(同時に見えなくもされてきました)。「見ること」と権力は深く関わっていて、その「見る側」に写真も発明以来ずっと加担している。写真家が郊外で好まれないのも故なきことではありません。
90年代から急速に増えてきた、郊外を新しい視覚的テリトリーとして表彰しようとする写真作品群にあまり興味を覚えないのは、この視点の問題への意識が感じられないからです。映像の形態は斬新でも、まなざしのありようは旧態依然としています。

「中心」に内包したままの視点では、「周縁」に起こりうる現状を捉えることが出来ない。
変貌するそのまっただなかに身を移してこそ、その変貌自体を正確に捉えることが可能になる。
しかし僕等はその「中心」に加担しているので、遠くから変貌を眺めているだけに過ぎず、またそのことを自覚できていない。
些細なことに思えるかもしれないが、それは写真の役割を果たせていない意味では致命的にも感じる。

作者はこうも述べている。

中心主義的まなざしによって構築された今のヨーロッパは、オルタナティブな視線を獲得することによってしか現在の問題を解決できないでしょう。周縁を客体ではなく自らの一部として引き受けるということは価値観の転換による苦痛を伴うはずですが、同時に世界へのパースペクティヴを大きく変化させる可能性を手にすることだと思います。

作者のいう「問題」について、具体的な内容は先にも述べたとおり理解できないので詳しくは追求しないが、ここでもやはり視点の転換の重要性を述べていて、世界への新しい見解と、正しい認識を深める可能性を得ることが出来ると言う。
僕ら自身の立ち位置、理念、理想、信仰、国籍、職業などの環境を理解し、それぞれの目の前にある問題を解決してけるよう、それらを乗り越え変革させていく「意識」が重要ということだろう。
写真のまなざしはその具象化だ。

日々変動し、いずれは滅ぶ世界と生活の「現状」を凍結して残すことが可能な写真の本質を、最大限に生かそうとする試みが、作者のいう「視点の転換」であるとすれば、それは僕たちが学び摸倣していかなければならない意識であるという結論で今回はオシマイ。

そして次回に続く。

COMMENT

こんにちは。
「中心」と「周縁」、「見ること」と権力から、パノプティコンを連想しました。

なんか参考になりそうな本があったら、月曜にもってくね。

Posted by:shin-go | 2006年11月19日 04:13

200年前の全展望監視システムとかすごーい!
善意で設計されているところがすごーい!

Posted by:コバヤシ | 2006年11月19日 23:48

TRACKBACK

URL : http://tplh.net/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/269




copyright © TPLH.net All right reserved.