湊 雅博 写真展 「累」 1

投稿日 :
2006.11.05
カテゴリ :
01_PHOTOGRAPH

水道橋のUP FIELD GALLERYに写真展を見に行った。表題がそれ。

被写体の土、砂、水、草、金属、コンクリートなどは、接近した視点で捉えられて、色彩は無い。写真と対峙した瞬間に僕等は被写体の現実を連想し、迷う。連想した対象と目の前にある映像とが、なかなか合致してくれない。

写真の内側にある、砂は硬く、コンクリートは脆く、草は無機質に見え、対立する二つの要素の中間にとどまっているように感じられる。

展示会の解説文では、人間の無意識について論じている。

ひとはほんの一瞬だけ躊躇した後に、ものを気分と整合させ、名前を与え、記憶の中に位置づけ、関係を整理し、そして意味をつくりあげてしまう。
<中略>
このようなプロセスは避けることのできないひとの意識の自然によるものにちがいない。

解説ではまた、展示の写真の時間軸を「始めのまなざし」という位置に置いて、本作品を「意識の自然にあらがう行為」と定義している。

更にこうある。

一見ニュートラルに見えるまなざしの記録は、はっきりと「とどまり続ける」という戦略的な方法意識によって始めて生まれるというパラドックスが成り立つのである。

僕等がモノの認識で迷っていると感じた意識は、実はモノの認識の第一段階でストップしていた、ということ。その時間軸の意識がこの作品の全てか。

解説文は本作品を「意識的な戯れの痕跡として成立している」と述べて終える。写真を撮り、作品を構築する行為の意義はなにか、その答えの一つが導き出されているが、それはまた次に述べる。

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